【DTM】パンニングと文化の話

先日、とあるプロフェッショナルの方から面白い話を聞いた。

DTMをやる方なら毎度悩むであろうパンニング。
いわゆるL/Rに音を振り分けることで、楽曲へ立体感をつけたり、音の干渉を低減させたりするアレである。

どうやらこのパンニング、文化によって処理の仕方に特徴が出るのでは?とのこと。
一体どういうことなのか。

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日本はやはり控えめの文化?

国民性などという言葉でまとめて語ることは決してできないが、
しかしそれでも日本人の作る楽曲や、ミックスの依頼内容など、パンを最大限に使うことは少なく、どちらかというと「こんなに振るとやばいかな…もう少しセンターに寄せるか」のような意識が土台にあった上で、勇気を出してパンニングする場合もある、という感覚のミュージシャンは多いのではないだろうか。

何よりこの、”勇気を出して”、あるいは”思い切って”という感覚が特徴的である。

欧米はL/R最大からスタート!?

欧米とひとくくりにしてしまうが、こちらのミュージシャンは、DTMでもパンの値を最大で振り分けることもよくあり、スペースがかなり広いものを想定していることは珍しくないという。つまり、センターへの固執が強くないのだ。
そう言えば、以前一緒に組んでいたイギリス人のミュージシャンも、
かなり大胆に振り分けていたのを思い出す。

値が用意されているなら、最大値だろうが使うのは別に当たり前だろ?という感覚だろうか。

音楽性と文化的側面

当然、どちらが正しくてどちらが正しくないという話では全く無いわけだが、
なぜこのような差が生まれのか。
1つ大きいのは、やはり音楽性だろう。
J-POPが横の流れ(コード進行、ABメロサビ等の構成)、洋楽が縦の流れ(音積み、使用音の増減)を特に意識するとは言われるが、まさに洋楽の方がコード進行に頼れない部分、パン振りなどで空間の使い方を工夫する思考になりやすいのかもしれない。

しかしそれだけではなく、
違いが生じるもう1つの理由が、今回述べている通り文化的な面と言えるのではないだろうか。

個人差は多かれ少なかれあるものの、あらゆる面で日本人は控えめな文化だと言われる。
(※控えめという、良い表現が正しいかは疑問だが…)

前に出ること、目立つこと、つまり周りと違うこと、これに抵抗がある人は確実に多く、
悪く言えば意思決定は無難なものを選ぶ傾向にあるとも言える。

こうした無意識下に刷り込まれたものが、音楽制作にも影響を与えているであろうことは、よく考えれば特に驚くことでもないのかもしれない。

「パンの振り分けは普通はこれくらいだろうから」とか「こんなに振る人なんているのかな」などと、”普通”とか”常識”みたいなものを何となく意識して行う。
場合によっては、例え耳で違和感を感じていなくとも「普通はここまでしないか」となるのである。

耳だけでなく、周りと比較して浮いていないか、を意識的無意識的問わず考慮する傾向はやはり否めない。

1つのアイデアとして

ここまで多少強引に一般化して述べているが、この記事で一番言いたいのは、
自分で作る音楽をマンネリ化させないようなアイデアや手段は、「当たり前にやっていること」や「考え方」などからいくらでも持ち込める余地があるということ。

例えばこのパンニングの話ならば、「いつも振る時はセンターから当たり前のように始めているから、逆にデフォルトをL/R最大に振った位置からセンターに戻す方向でトライしてみよう」など、そういったアイデアに繋げたい。
そして、実際それはいつもより大胆なパンニングに導くかもしれない。

このように、自分がいつも何となくしているようなことに焦点を当てて、それって本当にこうじゃなきゃいけないの?と問いただすことは十分意味があるかなと思う。
特に音楽の世界は、正解は無いし、ベターはあるけど唯一のベターは無いのだから。

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